
あきらめるか、インプラント 歯科を追求するか
「説明した上の同意」という思想は、もともとは医学研究(及び行動学的研究)の場、つまり広い意味での「人間実験」の場で鋭く問われているわけですが、日常診療の場での「同意」の原則も同様であるべきであり、したがって患者の自己決定権が重大な問題となります。
意思決定ずいぶん昔から、手術の前には「どんな結果になっても文句はいいません」というような、病院側に都合のいい身勝手な一札に患者が判を押すことを強要されることが多いようです。
もっとも、こんな一札は法律的な効力はないようですが、とにかく生殺与奪の権を医者や病院に「おまかせ」して悔いない人が多いのでしょう。
しかしY・Tさんのいうように「からだは患者のもの」であり、医療はしたがって「患者のため」のものでなくてはならない上、医学は今日なお不確実性に満ち、相対的な真実への確率的接近であるという性格を残しているのですから、価値観の多様化した今日では、患者と医者との間で治療の目標と手段についての選択を異にする場合が珍しくありませんし、今日的な医療モデルでは医療者と患者とはトナ関係にあるべきだと考えられますから、医療の場における患者の自己決定権を軽視あるいは無視することは到底許されません。
今日なお、わが国では患者は本来無知であり、したがって患者の「最善の利益」を知るものは患者自身ではなく医者であるという建て前がまかり通っていますから、医者の「裁量権」が大幅に認められ、医事紛争の裁判などでもたかだが「医療水準」一当時の医学界一般が行なっているところ一が判断のよりどころになる場合が多いのです。
つまり、どのような治療を施すべきかは、一方的に医療側(医者個人でなくても)の判断にゆだねられるべきであるという考え方です。
このような医療における伝統的な意思決定の仕組みをそのまま是認することが次第に困難になりつつあることは、癌の告知や尊厳死の問題からもうかがわれますが、その端的な一例は障害者の自立生活運動に見ることができます。
身体障害者のリハビリテーションは第二次大戦以来目覚ましく進歩し、時には、成功する場合と成功しない場合とがあります。
リハビリテーション医学ではいろいろな機能訓練を積み重ね、またいろいろな補助具を工夫し、他人からの援助なしに日常生活を自力で行うことを中間目標とし、ついで産業社会に復帰するための職業訓練の課程に入ります。
ところが一部の重度障害者は、このようにあらかじめ準備された課程を一段一段よし昇ってめでたく社会に復帰するというわけにはいきません。
つまりしばしば脱落者となるわけです。
しかし、このような過程を踏んで型通り「自力更生」できない障害者でも、身の廻りの世話をしてくれる人かおり移動を介助してくれる人がおれば、頭脳的作業では他人にひけをとらないという場合が少なくありません。
たとえばアメリカのカリフォルニア州政府のリハビリテーション局長であるロバツさんという人は、子供の時ポリオ(小児マヒ)にかかったため今でも車椅子に乗り酸素吸入器を持ち歩かなくてはならないのですが、いくら機能訓練をつづけて努力しても、自力でうまく食事や身の廻りのことができるまでには至らなかったのです。
そこで、そのような型通りの訓練を棚上げにし、身の廻りのことは介助者の援助に大幅に頼ることに決めて、自分は希望の大学に通って勉強し、リハビリテーション行政家として活躍することができるようになったのです。
つまりリハビリテーションにおける型通りの医学的モデルを拒否して、自分自身で選択したライフスタイルを目ざして努力し、ついに成功したわけです。
医療というものは病理解剖学的ないし病態生理学的変化、つまり疾患だけにかかわるのではなく、患者の悩みとしての病いにかかわらなくてはならないし、「社会的役割」の回復にもかかわらなくてはなりません。
いいかえると、それは患者の人間としての生き甲斐を終極的に目ざす営みであるはずですが、とくに慢性の病気や障害の場合、何が患者の最善の利益であり、何が生き甲斐であるかは本来、医者が勝手に決められることではないのです。
もちろん、ライフスタイルを選択するためには正しい医学的認識が不可欠な前提であることはいうまでもありませんから、医者の指導・協力が重要な意味をもつことは当然です。
しかし慢性病の患者や障害者は同時に、生活者であることをやめているわけではありませんから、医学的認識だけで一人の人間としての生き方についての完全な意思決定はできないはずです。
アメリカの障害者の自立生活運動が反医療運動と消費者運動との色彩を多分に帯びているのは、医学的価値観に基づいたライフスタイルの一方的な押しつけに対する反発に由来するものであろうと考えます(障害者の自立生活運動については前掲の『リハビリテシ。
ン概論』参照)。
ある社会学者は「患者は感情的かつ不合理である権利をもつ」といいました。
そんな「権利」を振り廻されては困るようにも思いますが、だからといって、相手にせずというわけにはいかないのが患者です。
患者の知識は多くの場合不完全ですし、同病者などから供給される情報には偏りが多く、患者の精神状態は必ずしも平静とはかぎりませんから、いきなり正しい決定を期待することは確かに難しいでしょう。
しかし、本来そういう困難な条件を背負い込んでいるのが患者というものなのです。
したがって医療者はそういうものとして患者に対処し、辛抱強く話し合うことによって「よく説明した上の同意」を媒介として、医学的にも筋の通った戦略に引き入れるように努力するしかないのです。
研究の場合でも診療の場合でも、「説明した上の同意」が円滑に運ばないのは、素人である患者が説明された具体的事項の細部を正しく理解できないからというよりも、むしろ臨床医学あるいは医療の構造一般についての本質的な理解を欠くからではないかと考えられます。
それにもかかわらず今日なお多くの暗箱性を残していること、したがって絶えず研究的姿勢を維持しなくてはならないこと、複雑な選択を重ねて目標に確率的に接近するシステムであること、そのためには医療者と患者の緊密な協力が不可欠であることそれらをわきまえず、医学ないし医者に過大な期待をかけ、いつ一〇〇%有効、一〇〇%安全な「定食」的診療が存在するかのように過信している人が多いからではないでしょうか。
なお「知らされた上の同意」といっても、単にありうるべき可能性を数限りなく並べて専ら患者の選択にまかせるのでは、医者としての責任を放棄することになりますから許されることではありません。
「知らされた上の同意」ということは、医学的な意思決定者としての医者の責任を素人の患者に転嫁することであってはならないのです。
医者としての、専門家としての意思決定を自らの責任で行なった王で、その理由を分かりやすく説明して患者の同意を求めますが、その際、患者の気持や希望にもできるだけ耳を傾げ、必要な調整を行なって最終的な戦略を決定するという手続きを踏まねばならないのです。
ありふれた軽い病気の場合にも一こんな手順を踏んでいたのでは仕事がはかどりませんし、患者にとってもうるさくて、かえって迷惑でしょう。
ただ、重大な慢性病の場合の意思決定は、建て前としてはこのようなプロセスを面倒でも踏まねばならないものであることを医者も患者もわきまえているべきであろう、と私は考えています。
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